それは、儚い夢のような。
彼がその不思議な少年に遇ったのは、昼が夜に侵され始め、もぞもぞと妙な輩達が蠢き出す刻だった。
連日膨大な量の仕事に追われ、心身共に疲れていた彼は、しばしの休息を取ろうと外へ出た。
風に当たって頭を冷やすつもりだった。
外に出ると辺りは夜の気配を漂わせ始め、物質は輪郭を闇に滲ませていた。
彼は今し方出て来た建物の壁にもたれ掛かりながら、そのぼんやりした景色を眺めた。
夢とも現とも思われぬ曖昧な空間に目を遣りながら、彼は自分の成そうとしている壮大な計画に、ふと、考えを巡らせた。
千年王国。そこでは人々は皆平等であり、貧富の差は無く、また争いや飢えも無い。
そこに存在するものは、ただ永遠の幸福のみ――その様な楽園の実現を信じる事は、子供の夢想だ位にしか扱われないだろう。
事実、それを実現しようとしている彼もまた「子供」と呼ばれる年齢に過ぎない。
しかしその頭脳は悪魔の如く優れており、常識でいう「子供」と呼ぶには、彼は余りにも賢すぎた。
彼の考えには幼稚なものなどは一つも無 く、この世の誰よりも優れた思想の持ち主である、はずだった。
と、その時、それまで一様な風景を切り取るだけだった彼の視界に、変化が訪れた。
――何か、いる。
彼から少し離れた木の影で、何かが動いた。
影の大きさからすると、それは彼の背丈とほぼ同じくらいあるらしい。
今いる場所は、彼の私有地の森の、それもかなり奥である。この不気味な森には、獣さえ住み着かない。
その様な所に、人間が、ましてや子供などはいるはずも無い。
明らかに存在する事がおかしな影を訝りつつ、彼はその木の元に歩を進めた。
一歩、また一歩と進む度、影はその正体をあらわにする。
彼の胸が高鳴る。物の怪か、悪魔か、それとも。
最後はもどかしさの余り、駆け足になる。
そしてたどり着いた、その先には。
「子供…?」
彼は目を丸くし、きょとんとした。
そこに用意された結果が、余りにも平凡だった からである。
いや、今のこの環境ではそうではないかもしれないが、しかし。
彼は複雑な思いに駆られながら、そこにいる生き物をまじまじと見つめた。
年は彼と同じくらいかそれより幾分上だろう。
学童服の上に羽織った黄色と黒の横縞の上着。
半ズボンから伸びる足、その足に履いた下駄。
薄暗さでよく 分からない顔を、ふわりと包むような髪、そして。
その髪で隠れて片方しか見えないその眼は、その眼だけは、曖昧な視界の中で異様なまでに輝いて見えた。
「こんばんは」
突然、その生き物が言葉を発した。思わずびくりとしたが、すぐに平静を装って彼は答えた。
「お前は、何者だ」
当然の問である。しかし真面目な彼に対し、その少年はちょっとふざけたように笑いながら答えた。
「僕はね、予言者」
「ふざけるな」
少し苛立ちながら彼は言った。すると。
「本当さ」
突然、少年の声音が低くなる。
「僕は君に言う事があって来たんだ」
らんと輝く独眼が、きっと彼を見た。その迫力に彼は息を呑んだが、しかし負けじと答えた。
「何だ、俺は忙しいんでね、手短にしてくれないか」
「その忙しさも、僕の言うとおりにすれば無くなる」
「なんだと」
少年の思わぬ発言に、彼は驚く。
「どういう事だ」
「つまり、今君がやろうとしている事を止めろ、といいたいのさ」
「何故だ」
挑発的な少年の物言いに、段々彼の苛立ちは大きくなる。
「何故って、それが必ず失敗するからだよ。君の計画遂行による犠牲を、これ以上出したくないんでね」
「お前に何が分かる、計画は必ず成功する」
彼は冷静を装って答えようとするが、その語気は段々荒々しくなっていく。
普段ならこのような言葉は、無知な人間の戯言だと受け流す彼が、何故かこの少年に対してはそれが出来ないでいた。
そして、次の相手の一言が、決定打となる。
「いや、失敗するね。君は子供の夢をみているだけだよ」
「俺をその辺の餓鬼と一緒にするな!!」
思わず彼の声が荒げた。
「俺のアタマがどんなものか知ってるのか!」
彼は相手が否定するものとばかり思った。しかし。
「知ってるよ、一万年に一人の悪魔の様な大天才。でもね、やはり君も子供に過ぎない」
「なんだと」
「幼稚だって言いたいのさ」
そう少年が言い終わったとき、彼の中で何かが途切れた。
気づいた時には彼は少年の首に手を掛け、その激情の赴くままに力を込めていた。
許せない、許せない、許せない。
ぎりぎりと締め上げる手を少年は解こうとしたが、相手の小さな体からは想像もつかない程の力の込められた両手は決して外れる事は無い。
よりにもよって、この俺を幼稚など!
堪え難い屈辱に彼は理性を失っていた。
容赦無く少年を締め上げ、やがて必死に抵抗していた相手が力無くだらりとするまで、力を緩める事は無かった。
そうして動かなくなった少年を見て、彼ははっと我に返る。
――死んだか?
首から手を離し、少年の背を支えながらその顔を覗き込む。
――途端、鋭い眼光が彼をつらぬいた。
少年は死んではいなかった。独眼から人間のものとは思われぬ程の気を発し、彼を睨みつけた。
ぞくり、とした戦慄が彼の内を駆け抜ける。
――何なんだ、こいつは!
どんなもの――例えそれが悪魔だろうと、彼は臆する事が無かった。
その彼に初めて”恐怖”を味わわせた、この少年は、一体。
得体の知れないものへの、初めての感覚に呑まれている彼から何事も無かったかのように離れると、
少年は彼に、恐ろしい程穏やかな口調で言った。
「君がそのつもりなら、僕はもう何も言わないよ。ただ、どんな目に遭おうが知らないけどね。」
最後にくすりと不可解な笑みを浮かべると、少年は木々の向こうへと歩き出した。
はっとした彼は「待て」と言い、直ぐさま追い掛けようとしたが、その姿は既に辺りの闇と同化し、消えていた。
今のは、一体。
呆然とする彼に、突如激しい目眩が襲った。姿勢を崩しその場に倒れ込むと、彼はそのまま意識を失った。
気がついた時には、空には既に数多の星が輝いていた。あれから大分時間が経ったようだ。
――あれは、夢だったのだろうか。
未だ朦朧とする意識の中、先程の少年の姿を思い起こす。
しかしそれも意識が はっきりするにつれ薄れてゆき、幻のように消え入った。
ただ、あの不気味な眼差しと、声音だけがいやに離れなかった。
数ヶ月後。
彼は国の在り方を変えようとし、混乱させる反逆者として政府の前に倒れた。
”子供の夢に過ぎないんだよ”
いつかのあの言葉が響く。
夢のような記憶の言葉。
しかし、本当に夢に過ぎなかったのは。
儚い命の終わる瞬間、あの少年の皮肉な笑いが聞こえるようだった。
***
コレも友人に突発的に送りつけた小説。なんか何が言いたいのか良くわからない作品になってしまいました。
いつもの事といわれればそれまでですが。
そしてあえて松鬼だと言い張ります。
ええ、松鬼ですとも。
因みに四部鬼イメージ。
モドル。